会員登録ログインメンバー検索
<<  2015年03月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
       
2022年・年賀状と202
こちらではご無沙汰ですが、
★企画相談:オリジナル学生
急ゆるぼ…1月12日:薄桜
2019年コスプレ総決算
過去の日記へ
Re:2022年・年賀状と20
龍人 (12/26 20:01)
Re:2022年・年賀状と20
あ☆キラン (12/26 10:44)
Re:2022年・年賀状と20
新藤文☆風間千景LOVE (12/26 0:27)
Re:こちらではご無沙汰ですが
龍人 (12/27 12:21)
Re:急ゆるぼ…1月12日:薄
あ☆キラン (1/19 10:52)
一覧を見る
※4年前の3月11日を忘れません※
あ☆キラン
2015年03月11日 20:39
3月11日 東日本大震災 4年前
★コスプレとは関係ない、リアルな日常に関する日記になります。
4年前の3月11日、震災が起きた日のこと話になりますが、ご了承をお願いします。


あの大きな地震に出くわした時、私は地元の図書館に文献を調べて居ました。
要件を終えてこれから図書館を後にしようとした直後に、あの激しく長い揺れがありましたが、それが、思ってたよりも長い…。
本棚から本が立て続けに落ちてきたり、お婆さんらしき人が腰を落としていたりと、周囲は騒然となりました。
その後に職場へ戻る予定でしたが、携帯の連絡は繋がらず、どちらにしても今日の活動は無理となり、自転車で家路に着く帰り道に買い出しをしようかと思ってましたが、地元のスーパーは営業を休止しており、何とか営業してたコンビニに立ち寄りましたが、殆どの商品が空となってました。

辛うじて家路に到着したとき、そこは食器が一部落ちて割れてたり、物が散乱してました。
食料の方は、おコメとお茶など何とか凌げる状況だったことを確認。

そして、早速テレビを点けたら、予想を遥かに上回るもので、衝撃を受けました。
東北が…、中でも母方の実家がある岩手県は無事なのだろうか?
いやまずは家族との連絡だと思っていたら、姉からの着信があり、既に私の方は無事だということを伝えて、母親もカルチャースクールを終えて、買い出しを終えて家に居ることを確認出来ていたのですが、後は東京の父親です…。ウチの父親の性格からして、欲を言えば家に戻れれば幸いなのですが、避難所へ行かせるよりは、姉と会社で泊るという事となりました。
今冷静に考えると、多くの人達が職場や学校で寝泊りしたり、足止めとなっている人達が大勢居た中で、私は恵まれていたんだなぁと思います。

夜になりメールは通じるようになり、他とも連絡が確認できた所で、予定してた週末の予定をはじめ、まずは3月中のコスプレイベントは殆どキャンセルすることになりました。
当時は特にmixiやツイッターのつぶやきにはとても救われた気がします。
まだ2011年初頭は、このアーカイブはまだ主流ではありませんでした。
しかし全ての人がSNS機能を使いこなせているワケではないですし、やはり人の声の電話がどれほど恋しかったのだろう…。

当時、ふと気になったのが、岩手に住んでいる親戚と友人たちでした。
生存は確認できたものの、岩手の母方の実家は、残念ながら津波に押し流されました…。
子供の頃にも何度か遊びに行ったりしてただけに、それを聞いたときはとてもショックでした。
家だけじゃなく、その丘に位置してた墓石も今はありません。

私はまだ寄付金として、お金を送付することしか出来ていません。
4年経ったいまも、何が出来るかとか考えることもありますが、先ずは自分自身の生活を今まで通りにすること、そうした当たり前の幸せな事に気付いてあげられればと思います。


アーカイブでは、震災が起きた当初…写真を上げただけで、「不謹慎」とか「自粛」という言葉が、無名のアカウントで蔓延っていました。
周囲の意気を消沈、萎縮させてしまっていた中で、生死に纏わるような事はとてもデリケートで難しいとは思いましたが、批判は色々とあるにしても、その個人に対する中傷にまで発展騒がせては、それではただのイジメになってしまうのです。
いくら正論だからって、人の善意を多勢で叩くことは気持ちのようものではないです。

私は本当の意味で被災した訳ではありませんが、日常でも色々と大変なことになればそうした批判する余裕なんてありません。
今思えば「自粛しろ」「不謹慎だ」とわざわざ相手に中傷批判しているヤツほど大した事ない。
むしろ余裕があるから言えるに過ぎない。本当に辛い状況では「不謹慎だぞ!」なんて苦情言う余裕はないです。

当時は「ヘタリア」を題材にした、他の人達が日本を助けようとしてるのうな話もありました。
原本やその内容の詳細は解りませんが、何かと批判的な見解だけを鵜呑みにして、中傷めいたことが横行してたような気がします。
人の生死に纏わることはとてもデリケートですし、当時から見れば不謹慎と批判されるでしょう。
しかし、過去の歴史に遡れば話題は今の日本では考えられないような事が話題として入れられてます。それでは、戦国や幕末を舞台にした創作物も不謹慎となってしまいます。

あくまで私個人としては、国の文化や著作隣接権といったものはナシとして、私としては肯定的に捉ます。
多くの日本人が考えている所を総合すれば、私は悪意をもった話題ではないと思うのです。

4年たったいまでも、特に有名人を中心とした人たちがTwitterなどでお悔やみの言葉を出したものに対して、「どうせRT、賞賛が欲しいだけだろ!」とか、中でも某悪役系となったタレントに対して、「好感度上げたいだけだろ!」とか、どうしたコメントを見るたびに私は悲しくなります。

なんで人の善意をこうして貶めることしかできないのか?
日本の恥だ!馬鹿野郎!!


岩手県…私は第2の故郷としているくらい、とても好きな所で思い入れのある町です。
三陸、一関、釜石、さらには青森の十和田。

旅行から葬儀など要件は様々でしたが、地元の人達にはとても親切にしてもらいました。

子供の頃はよく乗り物に酔って体を壊すことが多かったとき、地元・岩手県の方々には、私のような甘えんぼな子ども相手に快く対応してもらったり、よく名産のわんこそばやお茶餅以外にも、地元の魚介食を頂いたりと、中には初対面の私を自宅にまで案内してもらったりと、今でも鮮明なくらい良き思い出があります。

あの当時までは、魚類といった魚介が苦手だったのですが、初めてこうしたものが美味しいと気づかされたのが、この岩手の三陸でした。

…今思えば、それに甘えてしまったくらいに、多大に迷惑をかけていました。


4年前の3月11日、私はあの時の出来事は忘れません。
ただ、日常の忙しさで、どうしても人はときを経て忘れていくのは致し方ないです…だってこの現代社会の人間だもん。
ただ風化や忘れたことを批判する前に、キッカケは何でもいいからこうして思い出してくれればいいと思う。

また、岩手県への遠征旅行に行ってみたいな…。



全てを表示1最新の10件を表示
2015年03月11日 20:47
私の友人も亡くなったし
友人の親戚も未だに右腕しか見つかってません。

自分の家も
朝まで電気が通らない、水が来ない
物資も届かない

等、本当に地獄でした。

あキランさんの日記を見て涙が出てきました。
こう言う気持ちを忘れて欲しくないなと…
そう思いました。 
2015年03月11日 21:06
>>1:真撃の巨真@駆逐してやるさん

亡くなったご友人をお悔やみします。
なんと…!電気や水といったライフラインが届かなかったとは、同じ近辺でもこうして、辛い思いをされていたことを初めて知りました…。

1年2年と人は新しい話題に流されて忘れていきますが、今年はなぜかふっとほっとけない気持ちになったので、この場でも日記に残すことにしました。 
2015年03月11日 22:47
私の祖母も、岩手県の沿岸部に住んでいます。家は大丈夫でしたが、あの悲惨な状況はいつまでも忘れられません。
でも辛い過去だけど忘れたくもありません。
きっと被災者じゃない人からしてみれば、もういいじゃないかって言う人もいるかもしれないけど、この記憶を風化させないようにしたいです。 
2015年03月12日 00:24
>>3:じゃこ氏さん

あの光景は今までからみても、想像出来ない光景だと思いました。
海の恩恵をもらっていますが、流石にあの状況だけが海に対して激しい憎悪として許せないものがありましたね…。
絶対にこの記憶はいつでも思い出せるようにします。 
全てを表示1最新の10件を表示
コメントを書く  トラックバック  過去の日記へ
マイニュース
・コスサミ2023ステージ募集
・AnimeJapan2023来週末開催
・コスサミ存続支援と巨大化の話